Kioku

記憶の記録

祖父母

私が高校に入学して間もない春の頃だった。
ある日の朝、通学の準備をしていたら親戚宅から電話があり、朝方祖母が亡くなったとの事だった。
急いで親と新幹線で向かった。

この祖母は私から見て母方の祖母。
晩年は認知症を患い、徘徊や物忘れが進んでいたらしい。
当時はまだ痴呆症と呼ばれていた時代。
今みたいに病院に積極的に連れて行って治療すると言う時代ではなかったと記憶する。
祖母は長男夫婦家族と一緒に住んでいた。
祖父は既に他界していた。
何でも親戚の話だとの長男の嫁が祖母に怒鳴りつけてる光景を何度も見た事があるらしい。
祖母も辛かっただろうが、世話をしているお嫁さんも大変だっただろう。

祖母の死因は悲しい事に事故死だった。
まだ60代だった。
朝、寝室に居ない祖母を家族が探している途中、念の為に離れにある二階建ての倉庫に入ったら階段の1段目で祖母が倒れているところを発見。
既に意識が無く、搬送先の病院で死亡が確認された。
夜中に1人で階段を昇り誤って落ちたのではないか?と言う事だったが、その地域はかなり田舎でその時は警察が介入しなかった。
本当に事故だったのか?
それともまだ自分なりに意識がしっかりしていて先に旅立った旦那さん(私から見たら祖父)の所へ行きたくて自殺してしまったのか?
幽霊となった祖父が祖母を呼んだのか?
それとも第三者が階段から突き飛ばしたのか?
…そんな事を今でもたまにぼんやりと考える事がある。

祖母は転落した衝撃で片方の瞼が黒く腫れ上がっていた。
とても痛々しくて哀しみに暮れた。
出棺の日は朝から暴風雨だった。
皆んなで祖母はまだこの家にいたいのかもね…と話していた。
午後になり出棺の時間になったので暴風雨の中、祖母の棺と共に火葬場へ向かった…


…先に旅立った祖父は出兵経験者。
戦前は財閥で有名な会社Mに勤めていた事もあるとか。
祖父と祖母はいとこ同士で結婚した。
昔ではよくある事だったらしい。
出兵前に撮影されたセピア色の家族写真が私の実家にまだ残っている。
赤紙を受け取った後、マレーシアに向かい、当時船大工だった祖父はその腕前を買われ、戦時中は機械の修理などをしていたらしい。
この話は戦後生まれの母から聞いた。
祖母から聞いたらしい。
祖父は戦場から無事に帰国したが、私を含め孫達には一切戦争の話をしてくれなかった。
今となってはちゃんと聞いておけば良かった。と後悔してるんだけど、多分祖父は戦時中の辛い出来事を思い出すから話したくなかったのかな…とも思う。
祖父は私が小学5年生の春に肝硬変で他界した。
いつも20時になると1人で寝室の布団に寝そべりながらテレビで放送されていた時代劇を見ていた姿を今でもたまに思い出す。
1度、生前の祖父に「先祖は何をしていたの?」と聞いたら「武士だよ。」と答えてくれた。

私は父方の祖父母の顔は知らない。
写真も残ってない。
祖母は父が幼少の頃にトイレで自殺。
祖父は私が生まれる遥か前に病死したとしか聞いていない。
昔、私の実家に古い戸籍謄本があり、そこには父の祖父母の名前が書いてあったので名前だけは知っている。